『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、ライアン・ジョンソン監督がアガサ・クリスティーに捧げて作ったミステリー映画です。ライアン・ジョンソンは、この『ナイブズ・アウト』という作品でアガサ・クリスティー流ミステリーに挑戦したわけですが、その結果はどう出たのでしょうか?
結論から言えば、その目論見は見事に成し遂げられました。古めかしい館や、典型的な名探偵、クセの強い登場人物も確かにその要素ではありますが、それだけではありません。それらよりも肝心なのは、犯人の正体や物語中のトリックではなく、ライアン・ジョンソンが観客に仕掛けたトリックが、まさにアガサ・クリスティー流だったということです。
ライアン・ジョンソンが観客に仕掛けたトリックがどんなものだったのか?そして、それがいかにアガサ・クリスティー的であったと言えるのか?それを検証していくためには、アガサ・クリスティーのミステリー理論を含めて考察していく必要があります。
なお、この記事では『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』のネタバレをしています。また、アガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』のトリックに触れている部分もあるので、未読の方はお気を付けください。
ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ]
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- 『ナイブズ・アウト』基本情報
- 『ナイブズ・アウト』は娯楽映画としても面白い
- 『ナイブズ・アウト』はミステリー映画として上手い
- 『ナイブズ・アウト』はミステリー黄金期の作品を想起させる
- アガサ・クリスティーのミステリーとは
- 『ナイブズ・アウト』は真の意味でアガサ・クリスティー的(ネタバレ)
- 『ナイブズ・アウト』におけるレッド・ヘリング(ネタバレ)
- 『ナイブズ・アウト』考察まとめ
『ナイブズ・アウト』基本情報
・原題:Knives Out
・公開年:2019年11月27日(アメリカ)、2020年1月31日(日本)
・上映時間:130分
・監督、脚本:ライアン・ジョンソン(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』)
・キャスト:ダニエル・クレイグ(『007 スペクター』)、アナ・デ・アルマス(『ブレードランナー2049』)、クリス・エヴァンズ(『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』)、ジェイミー・リー・カーティス(『ハロウィン』)、マイケル・シャノン(『シェイプ・オブ・ウォーター』)、トニ・コレット(『ヘレディタリー/継承』)、キャサリン・ラングフォード(ドラマ『13の理由』)、クリストファー・プラマー(『ゲティ家の身代金』)
・あらすじ:
人気ミステリー作家のハーラン・スロンビーが、彼の誕生日に、喉をナイフで切って死んでいるのが見つかった。最初は自殺と見られていたが、探偵のブノワ・ブランは他殺だと断定する。一方で、彼の遺族は遺言の内容が気になって仕方がなかった。
・予告編:
『ナイブズ・アウト』は娯楽映画としても面白い
『ナイブズ・アウト』は、単に娯楽映画としても文句なく面白いです。ミステリー映画の一つの条件として、豪華キャストでなければならないというのがあります(あるいは、全員無名俳優)。なぜなら、一人だけビッグネームがいた場合、その人が犯人だとわかってしまうからです。1974年と2017年の『オリエント急行殺人事件』、そして2020年の『ナイル殺人事件』がオールスターキャストなのは、そのためです。
『ナイブズ・アウト』でも、被害者のクリストファー・プラマーを始め、ダニエル・クレイグ、クリス・エヴァンズ、マイケル・シャノンら豪華キャストが共演しています。弁護士役で、『スター・ウォーズ』のヨーダで知られるフランク・オズが、顔出しで出ていたりもしましたね。
また、所々で挿入されているブラックな笑いも見どころの一つです。ランサム(クリス・エヴァンズ)の eat shit の連呼や、嘘をつくと吐いてしまう看護師(アナ・デ・アルマス)などは、毎回笑ってしまいました。衝撃の遺言の内容に慌てる遺族のリアクションも面白かったです。
『ナイブズ・アウト』はミステリー映画として上手い
『ナイブズ・アウト』は、ミステリー映画としても、その見せ方がとても上手いのです。特に、序盤の尋問シーン。推理小説では、尋問シーンは大半を占めることも多いのですが、映画ではそういうことはまずありません。それは、尋問というものはどうしても画が地味になってしまうから、そして観客は容疑者の言葉をいちいち覚えていることができないからです(小説なら見返せるけど)。
そのため『ナイブズ・アウト』では、最初の尋問シーンで早くも「この人は嘘をついているんだよ」と見せてしまいます。推理小説では絶対にやらないでしょう。でも、映画なので全然アリです。一時停止ができない映画を観ながら犯人探しをするのは、小説を読みながらするのとは桁違いに頭を使います。
小説のプロットをそのまま映画にすると、情報量が多すぎてよくわからないままになってしまうことも多いです。『オリエント急行殺人事件』といった大トリックの場合はそれでも良いのですが、それ以外の作品には向きません。原作小説のない『ナイブズ・アウト』において、このような推理小説ではおよそしないであろうプロットを導入するという判断は賢明です。
オリエント急行殺人事件 (角川文庫) [ アガサ・クリスティ ]
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『ナイブズ・アウト』はミステリー黄金期の作品を想起させる
『ナイブズ・アウト』は、舞台立てからして、完全にミステリー黄金期を想起させるようになっています。ここでいうミステリー黄金期とは、1920~30年代のアガサ・クリスティーやエラリー・クイーンらが活躍していた時期のことを指します。
古めかしい館に、大富豪の老人。腹に一物抱えたクセの強い家族。どれをとっても、アガサ・クリスティーやヴァン・ダインの作品に出てきそうなものばかりです。その中で、ジーンズを履いた看護婦やスマホ依存の少年がいたり、eat shit や ass hole といった言葉が飛び交うのは、良い意味で新鮮です。
序盤30分程の展開も、完全にミステリー黄金期の諸作品に酷似しています。事件発生直前直後ではなく、葬儀が終わった後から探偵の捜査が始まるのはアガサ・クリスティーの『葬儀を終えて』を思い起こさせるところがあります。
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遺言を巡るごたごたというのも、ミステリー黄金期の作品には頻繁に扱われていたものです。『ナイブズ・アウト』の衝撃の遺言の内容を聞いて、自分はクリスティーの『ねじれた家』をちょっと思い出したりもしましたね。そんな風に、舞台立てや登場人物からして、『ナイブズ・アウト』は完全にミステリー黄金期をオマージュした作りになっています。
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アガサ・クリスティーのミステリーとは
ここで『ナイブズ・アウト』とアガサ・クリスティーの関係を考察する前に、アガサ・クリスティーがどんなミステリー作家であったかを見ておきたいと思います。アガサ・クリスティーは、世界で最も有名なミステリー作家であり、彼女の名前を聞いたことがない人はほとんどいないでしょう。しかし、彼女が実際にどんな作家であったかについては、誤解されることもあります。
しばしばある誤解が、アガサ・クリスティーは大掛かりで派手なトリックを得意としていたというものです。彼女の代表作とされる『オリエント急行殺人事件』や『アクロイド殺し』は、確かに大掛かりなトリックが仕掛けられています。しかし、アガサ・クリスティーの作品群において、そういった作品はむしろ少数派と言えます。
次に言われるのが、アガサ・クリスティーはスリリングな描写が上手いということです。別に下手だと言うつもりはありません。大傑作『そして誰もいなくなった』や『ABC殺人事件』のスリリングな描写は見事です。しかし、これも彼女の作風の一面を表しているに過ぎません。
アガサ・クリスティー作品の最たる特徴は、読者を巧みに操るミスリード(誤導)です。ミスリードというのは、推理小説において作者が著者を誤った方向に思考を向かわせる技術のことです。最も典型的なものに、真犯人はAであるが、作者が故意にBが犯人だと思わせる手法があります(このとき、Bをレッド・ヘリングと言う)。
ミスリードは、ほとんどの推理小説でもやっていることではあります。しかし、アガサ・クリスティーはその技術が天才的に上手いので、どれほど推理小説を読んできた人でも騙されてしまうのです。
アガサ・クリスティーのミスリード技術が最も顕著に利用されている作品の一つが、処女作『スタイルズ荘の怪事件』です。どんなに読者が頑張ったところで、結局はアガサ・クリスティーの思惑にはまってしまうことでしょう。
スタイルズ荘の怪事件 (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ]
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ミスリード自体は、物語の中の犯人が仕掛けるのではなく、物語の作者の叙述の技術によるものです。そのため、ミスリードが重視された作品のトリックは、それほど派手ではないものも多いです。アガサ・クリスティーは、人物関係を丁寧に描いていく中で読者にミスリードを仕掛けていくことが多いので、展開は地味なものも少なくないです。しかし、それだからこそ、アガサ・クリスティーは読者を足元からひっくり返すことが出来るのです。
『ナイブズ・アウト』は真の意味でアガサ・クリスティー的(ネタバレ)
『ナイブズ・アウト』は、序盤30分こそ黄金期のミステリーを思わせる展開ですが、その後はやや趣を異にします。というのも、看護師のカブレラが薬の投与を誤っていたことが序盤で示されてしまうのです。もう、これで事件は解決。ここからは、いかにカブレラが探偵にバレないでいられるかが焦点になってきます。中盤からは、そんな犯人のスリルを中心に、探偵がどうやって事件を解決していくかを楽しむ『刑事コロンボ』的な展開で物語が進んでいく……
と観客は思うのです。もはや、観客はこの時点でカプレラが犯人であることを疑ってはいません。疑い深い観客も、カブレラの行動ですべてが矛盾なく説明されてしまうので、カブレラが犯人であることに納得せざるを得ません。観客は、ここからは余計なことを考えずに、ただアナ・デ・アルマスが困っているのを楽しみ始めることになります。
これなのです!これこそがアガサ・クリスティー流ミステリーなのです!結論を言うと、実はカブレラはレッド・ヘリングでした。真犯人は別にいた(いなかったとも言えるが)というわけです。ただ、犯人自体はそれほど度肝を抜くものではありません。映画を観てない人に、犯人を言ったところで「やっぱり」といった反応しか返ってこないかもしれません。でも、観客は映画を観ている最中は、どうしても彼が犯人だと考えることができないのです。
アガサ・クリスティーの諸作品でも、こういった印象を与える作品は少なくありません。読み終わってから改めて考えれば、こいつが明らかに怪しいだろうという人がいたのに、なぜか読んでいる最中はそいつが犯人だとはどうしても思えないのです。それは、アガサ・クリスティーの巧みなミスリードにより、読者は”無意識に”真犯人を容疑者候補から外してしまう、あるいは犯人探しをやめてしまうからです。
『ナイブズ・アウト』が成し遂げたのは、まさにこれなのです。観客は、序盤で犯人を明らかにされてしまうので、興味を「犯人探し」から「カブレラ=アナ・デ・アルマスの逃避行」へ移すことになります。
『ナイブズ・アウト』におけるレッド・ヘリング(ネタバレ)
このレッド・ヘリングの使い方に最も近いのは、『ABC殺人事件』です。『ABC殺人事件』でスケープゴートにされるカストも、カブレラと同様に、自分が殺人を犯したと信じ込んでいます。読者もそれを疑う余地はありません。だから、読者はこの小説を、犯人探し小説ではなく、犯人がポアロの追跡から逃れようとする話として読んでいくことになります。
『ナイブズ・アウト』の場合は、カブレラに嘘をつくと吐いてしまうという特徴を付与しました。これで、観客はカブレラが嘘をつけない中、どうやって犯行をバレないようにするのだろうということが気になって仕方がなくなります。
それだけではありません。私は、カブレラ役にアナ・デ・アルマスをキャスティングしたこと自体が、もうレッド・ヘリングとして仕組まれたことだと思っています。見ての通り、アナ・デ・アルマスは可愛いです(笑) 到底否定することなど出来ません。
加えて、アナ・デ・アルマスが一躍注目を集めたのは『ブレードランナー2049』(2017年)のときであり、出演作はまだそれほど多くありません。さらに、最新作『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』にも出演することになっています。これは偶然なのかもしれませんが、だとしても確実に良い方に作用しています。
それほど注目度が高いので、『ナイブズ・アウト』を、アナ・デ・アルマスを目的に観ている人も少なくないでしょう。そうでなくとも、アナ・デ・アルマスの演技力により、意図しない状況に振り回されるカブレラから観客は目が離せなくなります。つまり、観客の視点が自然とカブレラ=アナ・デ・アルマスの行動の方に向くよう、すべての要素が仕立てられているのです。
これは、アガサ・クリスティーの創作姿勢に通じるものです。アガサ・クリスティーは、読者を騙すためにはどんなことでもします。『アクロイド殺し』におけるヘイスティングスの不在などがその例です。
『アクロイド殺し』は、ポアロシリーズ3作目であり、前2作には助手のヘイスティングスが登場していました。小説としては、ヘイスティングスほど美味しいキャラクターもいません。探偵小説におけるワトソン役は、物語にユーモアをもたらしてくれる存在であり、捨ててしまうにはもったいなさすぎます。しかし、アガサ・クリスティーはヘイスティングスを登場させませんでした。詳しくは言いませんが、読んだことがある方ならば、その理由はわかるでしょう。
アクロイド殺し (ハヤカワ文庫) [ アガサ・クリスティ ]
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『ナイブズ・アウト』と『アクロイド殺し』などのアガサ・クリスティー作品に通底しているのは、物語の枠組みから観客(読者)を騙そうとしている点にあります。そういった点で、『ナイブズ・アウト』は真にアガサ・クリスティー的な映画なのです。
『ナイブズ・アウト』考察まとめ
『ナイブズ・アウト』で、アガサ・クリスティー並びに当時のミステリー黄金時代流の物語を見事に映像化してくれたライアン・ジョンソンには、ミステリーファンとして本当に感謝です。古臭い屋敷に、クセの強い家族、絵に描いたような名探偵など、あの時代の舞台がそのまま出てくるのは感激でした。
そんな装飾面だけでなく、プロットもアガサ・クリスティーの精神を見事に受け継いだものでした。「映画」という表現方法を理解した上で練られたストーリーであり、これは小説とはまた違う魅力がありました。原作があったら、こんなストーリー展開はできなかったに違いありません。
どうやら、続編を作るという話もあるので、今後はそちらも期待したいところです。次もライアン・ジョンソンが脚本を書いてくれるのかな?まだ、あまり詳しいことは決まっていないようですが、今から楽しみです。