『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』って、このタイトルだけだと全然意味がわからないですね。実際に囚われているのは、翻訳家なのに。比喩的な意味では、ベストセラーの方も囚われていたと言えるんですけどね。ちなみに、内容はれっきとしたミステリー映画です。
- 『9人の翻訳家』基本情報
- 『9人の翻訳家』は密室ミステリー(ネタバレ)
- 『9人の翻訳家』密室トリック解説(ネタバレ)
- 『9人の翻訳家』真犯人の正体(ネタバレ)
- 『9人の翻訳家』の文学愛(ネタバレ)
- 『9人の翻訳家』感想
『9人の翻訳家』基本情報
・原題:Les traducteurs
・制作国:フランス、ベルギー
・公開年:2020年1月29日(フランス)、2020年1月24日(日本)
・監督:レジス・ロワンサル
・キャスト:ランベール・ウィルソン、アレックス・ロウザー、オルガ・キュリレンコ
・音楽:三宅純
・あらすじ:
大人気ミステリー小説『デダリュス』第3巻の世界同時発売に向け、9人の翻訳家がフランスのある屋敷に集められた。彼らは、情報が漏れないように、2ヶ月間その場所に監禁されて翻訳をしていくことになった。しかし、冒頭10ページが流出したことが明らかになる。
・予告編:
『9人の翻訳家』は密室ミステリー(ネタバレ)
『9人の翻訳家』の謎の主眼は、犯人がいかにして密室状態の館から原稿を盗み出したのかというハウダニットに置かれています。ときどき、「密室」と「クローズドサークル」が誤用されている例があるので、ここではっきりしておきます。「密室」ミステリーとは、閉鎖された環境の中で、外部からの介入なしには起こり得ない不可解な状況を扱います。密室殺人は、密室の中に被害者しかいないにも関わらず、他殺としか思えない状況になっているもののことです。
一方で、「クローズドサークル」は複数人が閉じこめられた環境の中で展開する種類のミステリーです。代表的なのは、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』で、ここでは10人の人間が孤島に閉じこめられ、その中で次々と人が殺されていきます。重要なのは、「密室」というからには不可能状況の設定が必要なのです。だから、『相棒-劇場版Ⅲ-巨大密室!特命係 絶海の孤島へ』は、「密室」ではなく「クローズドサークル」です。
『9人の翻訳家』の主眼は密室にあるわけですが、同時にクローズドサークルの要素もあります。屋敷に閉じこめられた9人の翻訳家は、犯人がわかるまで外にでることはできません。ただ、人が次々に殺されているわけではないので、クローズドサークルのスリルがメインというわけではありません。
このタイプのミステリーだと、エラリー・クイーンの『アメリカ銃の秘密』が比較的近いものなります。内容は、ロデオ会場の満員の人々の正面でロデオ騎手が射殺されるのですが、どこを探しても凶器の銃が見つからないというもの。どうやって銃を会場の外に持ち出したのだろうか?というのが『アメリカ銃の秘密』のメインの謎になります。
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↑ちなみに、この『アメリカ銃の秘密』を翻訳している越前敏弥さんは、『ダ・ヴィンチ・コード』などの翻訳もされている凄い人。今回のように、『デダリュス』で監禁される日本人がいるとしたら、それは越前敏弥さんです(笑)
『9人の翻訳家』密室トリック解説(ネタバレ)
メインとなっている密室トリックでしたが、どうでしたか?二段階にわかれていたので、一つずつ見ていきましょう。
一つ目は、5人の翻訳家が協力して事前に原稿をスキャンして盗んでいたというもの。なるほど。つまり、密室状態になる前に原稿を盗んでいたということです。これは、有名なディクソン・カーの『三つの棺』中の「密室講義」でも言及されていたものですね。代表例は、フランスの作家ガストン・ルルーの某推理小説でしょう。前例があるとはいえ、やっぱり騙されちゃうんだよなぁ。
三つの棺新訳版 (ハヤカワ・ミステリ文庫) [ ジョン・ディクソン・カー ]
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二つ目、そして本当の真相は、実はアレックスが著者で、始めから原稿を持っていたというもの。これは、今回の原稿を密室状況で盗まなければならないという設定だからこそできるトリックですね。当然のことながら、密室殺人ではこのトリックは使えません。設定を利用したユニークなトリックと言えるでしょう。
この二つ目のトリック自体はすごく良いのですが、そしたら一つ目のトリックの意味がなくない?あらかじめ翻訳者の仲間を作っておいた方が、色々と便利だろうという考えだったのかな。屋敷の中で翻訳家が発した言葉をメールの中に入れたかったからかもしれないけど、それってそんなに大事?アングストロームにバレるリスクが高い割に、今一つリターンがはっきりしないような計画だったように思います。
『9人の翻訳家』真犯人の正体(ネタバレ)
ということで、犯人はアレックスといえばそうなのですが、実際には彼自身は何もしていません。ただ、自分が書いたものをインターネットで公開しただけ。出版社と独占契約をしているわけでもないので、別に構わないでしょう。
では、誰が真犯人かと言えば、映画の中でも言われていた通り、出版社のアングストローム。実はこれ、伏線もしっかり張られていたんですよ。アングストロームは、終盤でアニシノバ(オルガ・キュリレンコ)を銃で撃ちます。これがあまりにも急に見えるのです。え、そこまでする⁉という感じ。確かに、切羽詰まった状況ではあるけれど、腹にズドンと一発やるほどには見えなかった。
でも、アングストロームのそれまでの行動を見れば、これも納得できるわけです。彼は、最初に本屋のおじいさんを階段から突き落として殺害しました。これが彼にとっての初めての殺人で、突発的にやってしまったのでしょう。性格がクソ野郎なので、そういった行動に出たこと自体は不思議ではありません。
それがあった上で、アニシノバを撃ったのだと考えればどうでしょう。二度目の殺人は、一度目の殺人と比べれば、ハードルははるかに低くなっていることでしょう。だから、通常ならば銃を撃つほどでもなさそうなシチュエーションで、実際に発砲したのです。
『9人の翻訳家』の文学愛(ネタバレ)
おそらく、『9人の翻訳家』を観た人の印象に残るのは、そんな密室トリック云々よりも、翻訳家たちの文学に対する愛でしょう。物語を通して、金儲けのことしか考えていないアングストロームと、真摯に『デダリュス』に向き合いたいと思っている翻訳家たちの分断が明確になっていきます。
アレックスが今回取った行動も、すべて文学愛に基づいて行われています。まず、アングストロームの拝金主義とそのために本屋のおじいさんを殺害したことに対する怒りが、今回の計画の発端です。そして、4人の翻訳家を招集し、第一の計画を実行する際にも、彼らの文学愛に訴えていました。最後に、アングストロームのアシスタントが寝返るように仕向けたのも、彼女の文学に対する思いを利用したものでしたね。
『9人の翻訳家』感想
自分は、完全にミステリー映画として観に行ったのですが、とても上質なものに仕上がりでしたね。密室トリックの二つの解法はいずれもよく考えられたもので、面白かったです。そして、犯人の動機には心打たれるものもありました。
街並みやファッションなどは、さすがパリ。おしゃれですねぇ。オルガ・キュリレンコの衣装とか、最高に美しいじゃないですか。格調高い三宅純さんの音楽も良かったです。『薔薇の名前』とかもそうなんだけど、フランスとかイタリアの映画とミステリー・サスペンスっていうのは、とても相性が良いと思うのです。今後も、こういった上質なミステリーを今後も生み出していってくれたら嬉しいですね。