現在公開中の『さよなら、退屈なレオニー』を見てきました。この記事を読んで気になった人はぜひ見に行ってみてください。
主人公は高校3年生の17歳だから、自分とかなり年齢も近い。でも、正直自分はこの映画にはまだ若すぎたかなと思う。何とか書いてみます。
1.あらすじ
主人公は、カナダの町に暮らす17歳の少女レオニー。高校卒業が1か月後に迫るが、将来の目標はいまだ決まらず。周りの状況に何となくイライラする。ある日、ギター講師のスティーブに出会い、そんな日常が少しだけ変わる。
原題はThe Fireflies Are Gone。蛍が何のことを言っているかは本作を見ればわかります。私は、邦題より原題の方が好きです。理由は後ほど。
冒頭で自分は若すぎたかなと書いたのは、このレオニーにあまり共感できなかったから。私自身もつい最近まで高校生をやっていたけど、そこまで退屈はしていなかった。今考えると何もしてなかったなあと思うが、当時はそれなりに満足して過ごしていた。将来の目標とかも持ってはいたので、レオニーとはほぼ真反対の高校生だったことになる。でも、映画って共感しなきゃいけないわけでもないですから。こんな自分でも色々考えてみました。
2.すべてが気に入らないレオニー
レオニーが唯一好きなのは、実の父親。一番気に入らないのは、母親の新しい恋人のラジオDJ。父親面をされるとむかつく(確かにそれはそうかも)。そんなラジオDJが好きな自分の母親も、当然気に入らない。学校の友達もくだらないことをやっているだけ。いまいち気に入らない。そもそも、新鮮味のないこの町自体が気に入らない。
レオニーは将来の話をするのが一番嫌いだ。人生長いんだし、そんなに急いで決めなくても良いじゃん。なぜ、周りの大人たちは将来のことばかり聞いてくるのだろう。
どこからがネタバレになるのか分かりづらいので、ここらへんで止めておきます。
3.蛍(ネタバレあり)
私が原題の方が好きだと言ったのは、退屈という言葉があまりに簡潔すぎると思うからです。退屈と言ってしまえばそうなのかもしれないけど、レオニーの感情はそんな単純なものではない。ここでは、気に入らないという表現をしたが、これも適切かどうか。イライラもしているし、それは理由がない場合もあるし、そんなに割り切って考えられるものではない。
原題の蛍は、本作において「レオニーの目の輝き」を表しているのではないだろうか。ほとんどの場面でレオニーの目は死んでいる。だが、スティーブといるときだけは少しだけ目に生気が見える。少しだけ。それが本作を紹介するネックになっている。退屈な日常を送っていた少女が、あるきっかけで生きる意味に目覚め…とかだったら分かりやすい。でも、レオニーにそこまで劇的な変化は訪れない。少しだけ、変わるのだ。
現実もそんなものかな。ふと、そんなことも思った。ハリウッド映画のように劇的に人生が変わることなど実際はほとんどない。少しずつ変わっていく。その変化は果たしてどんな方向に導いてくれるのかはよく分からない。だが、少しずつ何かは変わっていく。
4.目で魅せる
主演のカレル・トレンブレイは、私にとっては初めましての人。本作では、目で魅せてくれます。基本的には、本当につまらなそうな死んだ目をしている。でも、生き返るときはちゃんと生きた目をする。セリフがあまりないので、表情が非常に重要になるが、これだけ目で語れるのであればセリフもそんなにいらない。
レオニーの実の父親も目で魅せる。優しい目をしているんだけど、悲しみがこもっていたり。本作は目の演技合戦です。
5.まとめ
タイトルに退屈と付いてますが、映画は退屈ではないです。全体的に静かな展開ですが、少女が少しだけ成長する姿が見られます。ぜひ、目に注目して見てみてください。